自分の意思を伝えることの大切さ 〜DNARという選択〜

制度と手続き

ある90代の男性利用者のエピソードを通じて、「DNAR(Do Not Attempt Resuscitation/蘇生措置拒否)」について考えてみたいと思います。

年齢のわりにしっかりとされていたその方は、妻と息子家族と同居しながら、最期まで自宅で過ごしたいという明確な希望を持っていました。がんの終末期に差しかかっても、「ここで家族と一緒に過ごしたい」と、住み慣れた家での穏やかな日々を望まれていました。そして、その思いは家族も同様に望んでいたことだったのです。

しかし、ある日突然の心肺停止

ある日の朝、いつものように静かな朝を迎えていたご自宅で、突然、心肺停止の状態に陥りました。家族はパニックに陥り、救急車を呼びました。結果として、彼は病院に搬送され、そこで最期を迎えることになりました。

本人と同居する家族も「病院ではなく、自宅で看取りたい」と希望していたのですが、家族の混乱と判断がその希望を覆すことになったのです。

DNAR(蘇生措置拒否)とは

DNARとは、心停止などが起きた際に、心臓マッサージや気管挿管などの積極的な蘇生処置を行わないという意思表示のことです。これは、「延命治療をしない」と似ていますが、厳密には異なる概念です。

延命治療の中止には治療そのものの中断が含まれますが、DNARは「心肺停止時に蘇生をしない」という一点に絞られた意思表示です。

蘇生措置が与える身体的な負担

高齢者にとって、心臓マッサージや電気ショックは、非常に大きな負担になります。実際に肋骨が折れてしまうケースも珍しくありません。気管挿管によって喉を傷つけることもありますし、人工呼吸器の使用や薬剤投与による副作用も避けられません。本人が望んでいなかったにもかかわらず、こうした処置が行われた場合、その苦痛が生じることもあります。

もちろん、家族の「助けたい」「間に合うかもしれない」という気持ちは自然なものです。ですが、もし本人の希望が事前にしっかりと共有されていたなら、違った選択ができたかもしれません。

意思表示の難しさと後悔、それでも得られたもの

この男性の場合、事前にDNARについての意思表示はなく、文書化もされていませんでした。医療・介護スタッフとの会話では「もう病院には行かなくてもいい」と語っており、家族も父には住み慣れた自宅で最期まで過ごしてほしいと願っていました。

ただ、搬送された病院で最期を迎えたことで、親族一同が集まり、最期の時間をともに過ごすことができました。意識が戻ることはなかったものの、「皆で最期を見送れた」ということに、家族は安堵し、結果として「これでよかったのかもしれない」と語っていました。

終活としてDNARを考えるということ

DNARは「命を放棄すること」ではありません。むしろ、自分らしい生き方と最期を尊重するための手段です。

「病院で延命治療を受けるより、自宅で穏やかに過ごしたい」
「無理に蘇生されるより、自分の人生を自然に終えたい」

そうした思いがあるなら、早めにその意思を家族やかかりつけ医、ケアチームと共有し、できれば文書として残しておくことが大切です。

命の終わりは、誰にでも必ず訪れます。だからこそ、最期をどう迎えたいのか――その想いを、元気なうちに言葉にしておくことは、本人にとっても家族にとっても、安心につながる「終活」のひとつです。

DNARという選択肢があることを知ったうえで、「自分だったらどうするか」を一度、じっくり考えてみませんか?


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