支援者として大切にしたい姿勢について
看取りの経験は、必要だと思っています。
けれど、慣れてしまってはいけないとも感じています。
これは、医療や福祉の現場に関わるすべての人に言えることだと思います。
そして同時に、この言葉は、自分自身にも向けたものです。
現場にいれば、亡くなる場面に何度も立ち会います。
訃報の連絡を受けることも、決して珍しいことではなくなっていきます。
看取りが「特別な出来事」ではなく、「日常の一部」になっていくのです。
そのこと自体が悪いとは思っていません。
経験を積まなければ支えられない場面があるのも、確かです。
けれど、ふとした瞬間に、胸に引っかかることがあります。
亡くなったという連絡の、電話口の向こうで聞こえてくる笑い声。
大切な場面で交わされる、温度のない言葉。
「いつもの対応」として、淡々と処理されていく時間。
その場にいる家族にとっては、
その人が亡くなった日は、一生に一度の出来事です。
そのことを、私たちは本当に分かっているのでしょうか。
自分の家族だったら、同じ対応ができるか
では、ひとつ自分に問いかけてみます。
もし亡くなったのが、
自分の親だったら。
自分の配偶者だったら。
自分の大切な人だったら。
同じ言葉を、同じ態度で、同じ温度でかけることができるでしょうか。
仕事としてならできる対応。
専門職として身につけてきた距離感。
感情を抑え、冷静でいること。
それらは、確かに現場では必要な力です。
けれど、それが行き過ぎたとき、
「人として向き合う姿勢」まで薄れてしまっていないか、
自分自身に問い直す必要があると感じています。
すべてを受け止めろ、ということではありません。
支援者が感情移入しすぎれば、続けていくことができなくなります。
だからこそ、距離を取ることも、専門性のひとつです。
それでもなお、
大切な人を亡くした家族の前に立っている
という事実だけは、忘れてはいけないのではないでしょうか。
「寄り添う姿勢」は、本物でなくてもいい
よく「寄り添うことが大切だ」と言われます。
けれど、その「寄り添う」とは何なのか、
正直、私自身も迷い続けています。
本音で泣けなくてもいい。
心の底から共感できなくてもいい。
すべてを理解しようとしなくてもいい。
それでも、
寄り添おうとする姿勢だけは、失ってはいけない。
言い方はよくないかもしれませんが、
(嘘でもいいから)寄り添う姿勢。
温度のある声で話すこと。
急がせないこと。
「あなたの大切な人です」という前提で関わること。
それだけで、救われる家族がいることを、
私は何度も見てきました。
慣れてしまうことの怖さ
看取りの場面に何度も立ち会っていると、
どうしても心が慣れてしまう瞬間があります。
それは、防衛反応でもあります。
毎回同じ重さで受け止めていたら、
支援者の側が先に壊れてしまうからです。
だから、慣れること自体を否定するつもりはありません。
感情に蓋をする時間が必要なことも、確かにあります。
けれど、
慣れすぎてしまうことには、
別の怖さがあるように感じています。
亡くなったという事実を、
業務の一つとして処理してしまうこと。
「いつもの流れ」として、無意識に対応してしまうこと。
その小さな積み重ねが、
人を「人として扱う感覚」を
少しずつ鈍らせてしまうのではないか。
そんな不安を、私は時々抱きます。
支援者も壊れないために
支援者は、感情を持った人間です。
悲しみも、戸惑いも、無力感も、
感じないようにすることはできません。
だからこそ、
すべてを真正面から受け止める必要はないと思っています。
- 今日はここまで、と線を引くこと
- 仲間と気持ちを共有すること
- 自分の弱さを認めること
それもまた、
支援を続けていくために必要な選択です。
「慣れない自分」でい続けることと、
「自分を守ること」は、
本来、両立できるはずだと信じています。
Q&A|看取りに関わる支援者として大切にしたいこと
Q1. 看取りに慣れてしまうのは、よくないことなのでしょうか?
A.
慣れてしまうこと自体を否定する必要はないと思っています。
支援者が自分を守るために、感情との距離を取ることは必要です。
ただし、亡くなることを「業務の一部」として処理してしまったとき、
人として向き合う姿勢まで薄れていないか、
ときどき立ち止まって振り返ることが大切だと感じています。
Q2. 「寄り添う姿勢」が分からなくなることがあります。
A.
寄り添うことに、正解はありません。
本音で共感できなくても、
すべてを受け止められなくてもいいと思っています。
それでも、声のトーンや言葉の選び方、
相手を急かさない態度など、
寄り添おうとする姿勢は必ず伝わります。
Q3. 支援者自身の心が限界になることはありませんか?
A.
あります。
そして、それは弱さではありません。
感情を抱え込まず、
仲間と共有したり、距離を取ったりすることも、
支援を続けていくために必要な選択です。
まとめ|慣れないままで、続けていく
看取りの経験は、必要です。
けれど、慣れてしまってはいけない。
この言葉は、
誰かを責めるためのものではありません。
正解を示すものでもありません。
ただ、
人の最期に立ち会う仕事を選んだ者として、
自分自身に何度も問い直したい言葉です。
目の前にいるのは、
「利用者」でも「ケース」でもなく、
誰かにとって、かけがえのない人だったということ。
その事実だけは、
どれだけ経験を重ねても、
慣れずにいたいと思っています。
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